今回は横山眞理子様にお話を伺いました。
「突然、高利金融業者から『今から行くから』と脅しの電話を受けて…」
近藤弁護士と知り合った、きっかけを教えてください。
お世話になっていた税理士の先生の紹介でした。
近藤弁護士に、どんな依頼をしたのですか?
ある事情で、高利金融業者から、私たち家族が住んでいたビルから立ち退けと、脅されていました。困っていたその時に「助けてください!」とお願いしたのが、近藤先生でした。
どうして金融業者が立ち退きを迫ってきたのですか?
私の家は、会社組織で事業をしていて、ビルはその会社名義にしていました。弟が、その会社の代表取締役だったのですが、年長の役員が、会社の実印や印鑑証明書を持ち出して、勝手にビルを担保にして都内のヤミ金融からお金を借りたんです。その役員は、そのお金を持って、ある日突然、外国人女性と蒸発してしまったんです。
役員の失踪だけでは、立ち退き請求はできないのではないですか?
普通に考えたら、そうなんです。
でも、そのヤミ金融との契約で、融資と同時に、優先的にビルの権利が移って、すぐに立ち退き請求できる約束になっていたんですよ。ビル全体のマスターキーも先方に渡ってしまっていましたし。ビルには、建てるときにお金を貸してもらった銀行が抵当権をつけているし、下の階は店舗として貸しているし、私たち家族が住んでいるんで、そんな契約ありえないんですけど…。でも書類上は、立ち退き請求ができる契約になっているし、実際に鍵も先方に渡ってしまっていたわけです。
金融業者からどんな脅しを受けたのですか?
オーナーが蒸発した日に、すぐに金融業者から電話があって「今から行くからさ」と、低い声で電話があったんです。それから、我が家にやって来てすぐに立ち退け、っていうんです。
立ち退きを迫られてから、まずどんな行動を取ったのですか?
私たちはまず、知り合いの弁護士に電話をして、相談しました。でもその弁護士さんは、「いきなり明け渡せなんて言ってくるはずないから。そんなの大昔の話だよ。家から出なければ大丈夫」と言ってくれただけでした。
でも金融業者から、すぐに出て行け、と脅されているのですから、私たちは気が気じゃなかったです。それで母が、知り合いの税理士さん経由で、近藤先生にも連絡を取ったんです。そしたら近藤先生は、家まで来てくれて、金融業者が置いていった書類を調べたり、私たちの話を聞いたりして「いきなり明け渡せ、と強制することは違法だけど、それをやってくる可能性はある」といって、鍵の交換とか警察への相談とかいろいろアドバイスをくれました。 それから「本当に、彼らがやってきたら、いつでも来ますから」といってくれました。「必ず行きます」って念を押してくれました。
家族は、私と妹と母と弟の4人で、男手が少なかったんで、あの言葉はすごく心強かったです。その後、期限の日になったら、黒塗りの車が、何台もやってきて、大声を出して、下の店舗の人たちを追い出しにかかったんです。あれは怖かった。その時は、もう夜の7時近くでしたけど、近藤先生に連絡したら「今行きますから」って、飛んできてくれたんです。
「近藤先生が話し合ってくれたので、親分と手打ちができた」
近藤弁護士は、金融業者と対面して、どのような交渉をしたのですか?
近藤先生が交渉するまでに、金融業者たちは、2階を占拠してしまっていました。あと、1階を追い出そうとしていました。それから、幹部らしい数名が、弟と母を近くの喫茶店に連れて行っていました。その店には、他の客が入れないようにして、私たちが住んでいる5階から上を明け渡すように迫られていたそうです。だから私は近藤先生に会うとすぐ「あの店に私の家族がいますから。なんとかしてください」とお願いして、行ってもらったんですね。
あとで聞いたら、近藤先生は落ち着いていらしたそうです。で、席につくと、カッコイイことを言ったんですって。
「腹が減ってるから、まずは何か喰わせてくれ」って。
金融業者に囲まれて、親分を目の前にして言ったんですよ。そしたら下っ端が、「馬鹿にすんな!舐めてんのかっ!」って叫んで近藤先生に迫ってきたんですけど、それでも全然ひるまず、対応していたそうです。
それで、向こうが大声を出したことから、喫茶店のマスターが、警察を呼んでくれたんです。
警察が来て、事態は収束しましたか?
それが全然。
警察は基本、民事不介入なので、来てくれても、何もしてくれないんです。親分が「契約書がありますから」って言うと、すぐに引き下がっちゃいました。
「弁護士さんもいることだし、よく話し合ってください」
それだけですよ。
警察が帰った後の話し合いは、どうなったのですか?
結局、深夜2時くらいまで、先生と向こうの親分がギリギリの交渉をしていました。
その時、1階から4階までの部屋は、もう全て金融業者に押さえられてしまっていました。でも、私たちが住んでいる5階から上は、先生が防戦して、まだ明け渡していなかったんです。だから、当日は「5・6・7階は絶対に手を付けない」ということで、お互い手打ちになったんですね。証文もちゃんと書いて。
それで、深夜に鍵屋さんも呼んで、鍵を変えてもらったんです。強引に侵入されないために。近藤先生は、そこまでしてくださって「今日また見に来ますから」って言って、明け方に帰宅されました。
近藤弁護士が帰ったあと、不安じゃなかったですか?
不安でしたね。家族全員が一部屋に集まって、一緒に寝ました。でも、近藤先生がいなかったら、その夜、寝る場所もなかったかもしれません。
「保証人になっていたので、莫大な借金を背負うことになってしまった…」
近藤弁護士が話を付けてくれた翌日は、どうなったのですか?
妹がまだ若かったですし、相手は相当タチが悪い。何されるか分からない一寸先は闇という状況でした。このビルにいるのはちょっと怖かったんですね。近藤先生の指示もあり私たち家族は覚悟を決めて、外に出ることにしました。
空が白みかけたころにお米を炊いて、おにぎりを作って、気合いを入れて食べてから、ビルを出たんです。
そうしたら、すぐに金融業者たちは気づいたみたいで、部屋の鍵を全部替えられちゃったんです。あっという間でした。夜からずっと見張ってたんでしょうね。
だから、もうその瞬間から家に入れなくなっちゃって、一夜にして路頭に迷うことになってしまったんです。
家に帰れなくなった後は、どうやって生活されていたのですか?
弟以外は、親戚の家に居候させてもらいました。弟は知り合いを頼って、名古屋に住み始めました。
この場合、ビルの返還を求める請求ということになりますか?
そうです。それと、不当に追い出されたことについての損害賠償請求ですね。
でも、一応の契約書が相手方にあるわけですから、ビルを返してくれと言って、すぐに返してくれるはずがありません。
それに、ビルを建てる時に銀行から借りたお金を、返済しなければいけませんでした。悪いことに、母と妹が、保証人になっていました。
ビル建設時の借金を、保証人として返済する必要が発生したのですね?
そういうことです。
ですからそのままでは、莫大な借金を抱えてしまうことになるので、家族全員、困り切っていました。
家が奪われ、借金まで抱えてしまったと分かった時の、ご家族の状況は?
妹なんか、ビルの2階でお好み焼き屋を始たばかりで、軌道に乗り始めた時だったので、かなりショックを受けてました。
母もボーッとしてしまって「富士山の樹海に行っちゃおうかな」みたいなことを言ってるから、すごく心配でした。だから、先生がいてくれて、精神的に本当に支えていただきました。
「近藤先生が提案してくれた方法で、ビルを取り戻すことができました」
どうやって、莫大な借金を返済したのですか?
まずはヤミ金融業者からビルを取り戻して、それと同時に、ビルを売って、そのお金で銀行に返済しました。この方法は、何をどうすればいいか分からなかった私たちに、近藤先生が提案してくれたものです。
形式上は契約書を持つ相手に、どうやってビルの返却を請求したのですか?
裁判を起こしました。
本当は、立ち退き請求って、執行官に依頼しなきゃいけないらしいんです。
でも、金融業者たちがいきなり押しかけて、私たち住人を追い出してしまった、あのやり方は、法に反しているんです。主にそのことを理由に、ヤミ金融業者・占有屋を相手取って、ビルの返還と損害賠償を求める訴訟を起しました。
起訴相手の一人「占有屋」とは、どういった人ですか?
ビルを占拠して居座って、「出ていって欲しければお金を払え」と、立ち退き料を請求する人たちのことです。
私たちを追い出したのは、ヤミ金融業者ですけど、彼らは、すぐにビルを占有屋に引き渡してしまったんです。そうすると、占有屋は、追い出し自体には関わっていませんから「私たちは、何も知りません」という言い訳が立つんです。
たとえばアルコール中毒者とか、ホームレスとか、泥棒とか、要は誰でもいいんですけど、そういう人を雇って占拠したところに住まわせてしまうんですね。それで私たちの服とか家電とか、金目のものを取っていってしまうんですけど、占有屋は「私たちは、知りません。居住者がしたことなら、私たちと関係ありません」という態度なんですよ。すごく頭に来ましたよ。
実際に、占拠している人たちは、素性もわかりませんし、それを訴えても、また違う人たちがやってくるだけでラチがあかないので、裁判ではヤミ金融業者と占有屋の親分を訴えたわけです。
「恨みを買わないように、うまく和解まで持っていってくれた」
裁判はどれくらい続いたのですか?
1年と少しです。
法律的なことは、私たちにはよく分かりませんでしたから、近藤先生が裁判の手続きをすべてやってくれました。
裁判の結果は?
最終的には和解になって、相手方はビルの権利を手放すことになりました。
まずは、近藤先生が、ビルを買ってくれる会社を探してきてくれました。 それと同時に占有している人たちひとりひとりの立ち退きの条件を詰めて行きました。
そうして、第三者とビルを売却する契約をしました。
その代金の決済の日に、すべての占拠者に少しずつですけどお金を渡して、ビルから出て行ってもらって、ヤミ金の親分も占有屋の親分からは無条件で権利を放棄するという書類を差し出させ 、残ったお金で銀行にお金を返すことができました。
すべて、近藤先生が段取りから実行までしてくれました。
その過程で、相手からの脅迫などトラブルはありましたか?
それが全くなかったんです。
先生がうまいこと、恨みを買わないように、交渉して和解まで持って行ってくれたからだと思います。まだ若い妹もいたので、すごくありがたかったです。
「フットワークが軽くて、いざって時にものすごく頼れます」
近藤弁護士の印象を教えてください。
事務所で革の椅子に座ってるような、腰が重い弁護士さんのイメージってあるじゃないですか。近藤先生は、それとは真逆な感じです。フットワークが軽いっていうか。いざって時にものすごく頼れますね。
近藤弁護士の人柄を示す、特に印象に残ったエピソードはありますか?
弟以外は関東にいましたから「家族で集まって打ち合わせ」となると、場所は東京です。でも弟はあまりお金がない時期でしたから、名古屋から出てくるのが大変だったんです。
そんな時期に、私たちとは別件で、先生が関西に出張されたことがあったんです。
その帰りに、弟のことを心配してくれて、弟が住んでる名古屋に寄ってくれたことがありました。これはちょっと感激しましたね。先生は「通り道だったから」と、軽く言ってましたけど、あんまりできることじゃないと思います。すごく助かりました。
近藤弁護士の仕事ぶりを、どう評価されますか?
家族といっても一枚岩じゃないので、いろんな意見があるんです。そういうバラバラの意見をまとめて、全員で戦う方向に持って行ってくれたのは、近藤先生のおかげです。
近藤弁護士に依頼して良かったですか?
もちろんです!
ヤミ金融業者や占有屋が絡んでますから、近藤先生じゃなかったら、今頃どうなっていたか分かりません。近藤先生にとっては、報酬的にすごく割に合わない仕事だったと思うので、そのことが今でも申し訳ないですね。
先生がおイヤでなければ、弁護士と依頼人という垣根を取りはらって一生お付き合いしていきたい方だと思っています(笑)。
本日は大変貴重なお話を、ありがとうございました。
取材日:2010年4月26日
取材者:ライター・吉田 隆