弁護士 近藤 早利
Kondo Satoshi


代表弁護士 近藤 早利より

こんにちは。弁護士の近藤早利です。
ここでは簡単に、私の経歴と大切にしていることをお話しします。

弁護士にとっての研修期間、司法修習時代。
机の上で学んだ制度や理論が、実際の社会のことがらに適用されて、世の中の問題を解決していくダイナミズムを知りました。

司法修習というのは、弁護士になるために、必ず受けなければならない研修で、裁判官、検察官、弁護士にくっついて、実際に判決を書いたり、犯罪者を取り調べたり、裁判を起こしたり、犯罪者の弁護をしたりします。 こうして実務の基礎を学び、卒業試験を経て、はじめて弁護士や裁判官・検事になれるのです。
この修習で、弁護士の世界だけでなく、裁判所や検察庁を内側から見たことは、大きな財産になっています。

その後、私は、外国に本部を置く国際法律事務所に勤務しました。
依頼者は、アメリカやヨーロッパの著名企業ばかり。
主として、彼らの日本進出の際の、ビジネスについて、法務面でのお手伝いをするのが仕事でした。

なぜ国際法律事務所を志望したかといえば、法律実務の面白さを感じながらも、他方で、法律の世界があまりに閉じられていると感じたためでした。
そこで、外国との交流を求めたこと、英語で最低限のコミュニケーションができるようになりたかったのでした。

この事務所では、米国人の先輩弁護士から、アメリカン・スタイルの仕事の仕方を叩き込まれました。
何を、いつまでにしなければならないかを明確に文書にし、それをチームのメンバーに割り振って、メンバーが分担して作業を進める。
リーダーは大局的に進捗を見ながら、チームの生産性をできるかぎり高める。
仕事上の文章は、徹底的にわかりやすくなければならず、決して弁護士同士の、うちわの言葉で仕事をしてはいけない。
勤務時間には集中して仕事をし、だらだらと残業はしない。
法律以外のことに、関心をもち、家族を大切にする。
こうした仕事のスタイルは、この国際事務所で得た、最大の財産です。

次に、私は、国内の民事事件を専門にする事務所に移籍をしました。
移籍した事務所のクライアントは、国際法律事務所とは対照的で、個人や中小企業が中心でした。

人生に一度あるかないかの問題に直面した個人の方、経営の大問題を抱えた中小企業の社長さんたちが相手です。
弁護士側も、大きなチームはありません。
たった一人で、時に依頼者や相手方の方々と、ナマの感情をぶつけあうような仕事が中心となります。
依頼者の方々が直面している生死に関わるような問題に、ひとりで、全人格的に関わることで、胆力を鍛えることとなったと思っています。
なによりも、体を張って生きている人たちへの共感を育むこととなりました。

この事務所では、最初は雇われの身でしたが、その後、共同経営者にしていただきました。
そして、共同経営者になった頃、、私にとって、大きな転機となる事件に関わることなります。

それは、当時、日本最大の倒産事件といわれた会社更生事件でした。 管財人団の一員として、私は、それまでに所属したふたつの事務所で身につけたことを、思うがままに実践する機会を与えていただきました。
すなわち
「チームで仕事をし、その生産性を最大にする」 「非常事態においても冷静さを失わず、論理と胆力で勝負する」 「異なる文化に属する人たちと円滑にコミュニケートし、双方にメリットのある現実的な解決(win=win)をはかる」 という、信条の実践です。

この仕事では、社員の方々とあらゆる場所にでかけました。
日本の津々浦々、海外は、ホノルル、サンパウロ、ロンドン、香港、上海などで、困難な問題の解決にあたったことで、社員の方々との間には、深い仲間意識、信頼関係が生まれました。
今も続く人間関係は生涯の財産だと思っています。

2001年に、同世代の仲間たちと、現在の事務所、第一中央法律事務所をつくりました。 心がけたことは、私が、それまでに所属したふたつの事務所の、よいところを融合した事務所にしたい、ということでした。

仕事の質はあくまでも高く。そして、早く。 中小の事業者の方々や個人の方々にも負担していただける合理的な料金。 複数のメンバーで智恵を出し合い、作業を分担してもたらす生産性の高さ。 軽やかで、カジュアルで、フットワークがよいこと。 そんなことを実現したいと考えて、現在の事務所をつくりました。
おかげさまで、第一中央法律事務所は、ゆっくりと、でも着実に成長し、今年、満20周年を迎えることができました。

2006年(平成18年)に、先輩方の推薦をいただいて、司法研修所の民事弁護教官になりました。
3年間にわたり、司法修習生が民事弁護の実務を学ぶお手伝いをいたしました。
「教えることは、もっともよく学ぶことだ」ということばがあります。
この3年間で、私自身が、本当に多くのことを学び、また、実践で培った現場の知をまとめなおすことができました。
この3年間と延べ450人近くの教え子たちも、私のかけがえのない宝物です。

教え子たちには、いつも「生半可な法律知識を振りまわすだけの弁護士・裁判官・検察官になるな」いってきました。
もちろん、職業人として、まちがいのない仕事ができるだけの法的な知識と技量は必要です。
しかし、それは必要条件であって、十分条件ではありません。
法的な知識や技量を忘れたほうがよい解決をもたらすことだってあります。
求められているのは「問題の解決」であって「形式的な法律の適用」ではないのです。

ある種の外科医を揶揄することばとして
《手術は成功した。患者は死んだ。》というものがあります。
弁護士においても
《お金は回収できた、人間関係や取引先はすべて失った。》
《法律は守った。会社は潰れた》
などというケースは、まれではありません。 そんな法的サービスしか提供できない弁護士ではありたくありません。
私がこれまで生き、学び実践し、身につけてきたもの。その、すべてを動員して、依頼者の皆さんが、「最適な解決」を、見つけ出すためのお手伝いをすること。
そして、ひとりでも多くの方が、よりよい状態に変化されることのお手伝いをすること。
後輩たちを育て、私の思いと技術を、次の世代にバトンタッチしてゆくこと。

それが、私に与えられた天命だと思っています。


出身地

岐阜県恵那市明智町(明智光秀の出身地です)


学歴

1979年(昭和49年)私立東海高校卒業

1983年(昭和58年)一橋大学法学部卒業


職歴

1988年(昭和63年)司法修習生(第42期)

1990年(平成2年)4月 弁護士登録(東京弁護士会入会)、東京青山法律事務所入所

1995年(平成7年)下河辺・近藤法律事務所設立

2001年(平成13年)第一中央法律事務所設立


主な役職

裁判所関係

  • 最高裁判所 司法研修所 民事弁護教官(平成18年〜21年)

政府関係

  • 防衛省 行政事業レビュー 外部有識者

民間団体関係

  • (株)日本リース 保全管理人・管財人補佐
  • (株)ライフ 保全管理人代理
  • 暁信用組合 金融整理管財人

東京弁護士会関係

  • 常議員(3回)
  • 司法修習委員
  • 司法修習生就職問題対策本部 委員
  • 弁護士業務改革委員会 副委員長
  • 法律相談センター運営委員会 副委員長
  • 税務特別委員会 副委員長
  • 厚生委員会 副委員長
  • コンピュータ運用協議会 副議長 ほか

日本弁護士連合会関係

  • 代議員(3回)
  • コンピュータ委員会 委員
  • 弁護士業務対策委員会 委員

(財)法律扶助協会関係

  • 東京都支部相談員 審査員
  • 外国人法律相談員

著書

  • 法律事務所をつくる!(スピリット&マネジメント編)
  • 現場主義による民事再生の方法(責任編集)
  • ビジネスマンの法律問題(監修)
  • リース・クレジットの法律相談(分担執筆 以下同じ)
  • 実務民事再生法
  • 法律業務のためのパソコン徹底活用Book
  • 企業活動トラブル対策Q&A
  • 弁護士業務マニュアル
  • 弁護士業務とやさしいパソコン活用法
  • 法律家のための税法Q&A
  • 弁護士イチオシ!困ったときのネット検索
  • 弁護始末記30

東京弁護士会所属

メンバー一覧